WHERE HOPPY TAKES US
ホッピーを愛してやまぬ大将が誘う「味の秘境」
東京・赤坂。ビジネス街としての顔だけではなく、国会議事堂や議員会館・宿舎もちかく政界にも馴染みのある顔も持つためか、高級感の漂う店構えの料亭や割烹が多く立ち並ぶ。「坂」の名を持つとおり、三分坂、薬研坂、氷川坂、転坂、紀伊国坂、桜坂などなど街のあちらこちらに坂が点在しており、散策しながらその歴史を紐解いていくおもしろさもある。覗き込んだ路地の先にひっそり佇む店にも惹かれるが、今宵訪れる「赤坂濱寿司」は、賑やかな繁華街にある。しかしひとたびその暖簾をくぐれば、そこにはホッピーを愛してやまぬという大将が誘う、とっておきの「味の秘境」が現れる。
開店前の寿司屋の凛とした静謐さには、畏怖の念さえ感じる。それは、これからはじまる宴と客のために準備と手間を惜しまない職人やスタッフが放つ空気感からだろうか。包丁やまな板をさっと拭く所作には流れがあり無駄がなく、選び抜かれたネタを見つめる彼らの眼差しはなお鋭く、いい緊張感が場を支配している。それを一瞬でやわらかな空間にしてしまうのが、赤坂濱寿司の大将である稲生洋三(いのう ようぞう)さんの朗らかな笑顔と優しい声だ。
「きましたね、いらっしゃい」
寿司職人歴50年、赤坂の土地で江戸前寿司を握って45年というベテラン中のベテラン大将だ。さっそくその包丁さばきを拝見できるのかとワクワクしながら清潔感あふれる檜造りのカウンターに腰掛けようとすると、「こちらへ」と手招きされる。通されたのは二階にある宴会の間。なんと炉があり、躙り口まである。「茶室じゃないですか」というと、にっこりと大将は笑った。
「茶道はね、ずっとしたかったんですよ。いい先生に巡り会えたので、やっとはじめました。ここでお茶を点てるのは1年になります」
四季折々の味わいを最大限に引き出すことに重きをおく日本料理において、季節を感じさせてくれる「花」の存在は大きい。店の花を自身で活けている大将は華道家の顔も持つ。茶も然り。日本料理には欠かせないものであり、茶道におけるおもてなしの心や無駄のない所作は、料理人として改めて気づかされるところも多いという。「もっと早くやるべきでしたねえ」というが、そこに後悔や自責の念は感じない。華道に茶道、陶芸にも造詣の深い大将、「好きにやってきただけ」と飄々といってのけるように、焦ることなく出会いと縁に身を委ね、時が熟すままに、あるがままにやってきたのだろう。そのしなやかさこそが大将の魅力であり、それは店にも息づいている。
しなやかでなければ、東京のグルメ交差点と呼ばれる赤坂で45年も寿司一筋で暖簾を掲げ続けることなどできない。伝統を重んじ、職人の技を研鑽しつつ、外国人客をはじめとした新しい顧客をつかむために食べやすさを追求したメニューを用意するなど、新しい試みにも挑むしなやかさがなければならない。ここ赤坂濱寿司が「味の秘境」と称されるのは、美味しさだけではない。それは当たり前のスペックで、そのうえに驚きや感動があるからこそ、そう呼ばれるのだ。
大将の茶の湯で、もうひとつ気づいたことがある。それはおおらかさだ。大将の座敷では、正座を強要しない。座布団のような形をした高さのある畳がおいてあり、それに座ってお点前をいただける。座敷で寿司を振る舞う際も、この畳座布団椅子を使うという。正座が苦手な人や外国人のお客さまを意識してつくったものだ。「お茶もお寿司も、楽な姿勢で楽しめばよろしい」という大将の姿勢は、「おおらか」という言葉がしっくりくる。そしてそのおおらかさは、ホッピーのそれと似ている。
割って飲む、そのひとてまが加わって完成するホッピーのおいしさは、10人いれば10通り、100人いれば100通り。推奨する飲み方はあれど、それを全面に押し出すことはしない。なぜなら、それぞれの楽しみ方があることを「ハッピー」とするのがホッピーだからだ。ホッピーのおおらかさを体現するひとつのテーゼといっていい。
「好きに飲んでいいんですよ、懐が深いですよね。でもコクの強さもしっかりあってね。焼酎を多めにして(アルコールを)強くしてもホッピーのコクがまだ味わえるんです、感動しましたね。そのあと作り手の方々にあって、これまた感動してね」。「ホッピーを初めて飲むというお客さまもいます。一度飲むと、みなさん、えらいファンになりますね」「おすすめの飲み方?『ハーフ&ハーフ』ですね。寿司にもよく合いますよ。喉ごしはもちろんいいし、やっぱりコクがある」「朝まで店をやって、そのまま市場に行って、仕入れをして家路につくのがわたしの日課なんですが、酔いが残らないのもいいですねえ」。ホッピーについて語ってもらうと、少し饒舌になる大将。自らつくったハーフ&ハーフを飲む大将の幸せそうなお顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。大将とホッピーを飲んだら、ホッピーがますます好きになるんじゃないだろうか。
愛知県高浜市出身の大将。名古屋で料理人としてスタートしたが、修業で訪れた東京を挑戦の場に選ぶことにしたのは「驚き」と「感動」だった。「それこそ単純に、やり方やスケールの違いに驚いて感動しましてね。やるならここ(東京)と思いました」。大将を突き動かす理由は、いまも変わらず、「驚き」と「感動」だ。変わったとすれば「昔は『これどうやったんだ?すごいな!』ってわかりやすい感動の仕方でしたが、いまはもっとシンプルなこと、削ぎ落とされた美しさのようなものに感動するようになりましたね。だからお茶にたどり着けたのかな」。食材はもちろん、合理的かつ自由に仕事ができるように道具にこだわるのは料理人の常だ。大将はさらに酒にこだわる。赤坂濱寿司は地酒を150種類以上そろえていることでも知られている(選ぶのが大変なので直接大将に聞くのがおすすめだ)。
驚きや感動が原動力。それを料理で届けたい
料理は味覚や嗅覚、舌触りなどの触覚だけで味わうものはない。調理場から聞こえてくる食材を揚げる音や切る音に耳をすませることで食欲が刺激されることがあるし、目でも愛でることができる。器は盛り付けの礎で料理を視覚的に高めてくれる要のアイテムだ。だから大将は器にもこだわる。「器をみていると、作り手の気持ちがわかりますね。だから大切に使うし、いいものだとわかると集めたくなっちゃう」とも。掘りごたつの間には大将のコレクションが数多く飾られているが、ここだけの話、その畳の下にも秘蔵酒器の数々が眠っている。
寿司職人で茶人、華道家で陶芸蒐集家の大将、お次は何をするつもりなのかと聞くと「日本舞踊」だという。千利休は、茶の湯を「一期一会」のもてなしの空間とし、総合芸術として完成させた唯一無二の芸術家だが、大将は「舞」までもマスターしようという。レストランという空間は、料理を中心に一期一会の出会いをくれる場所だ。忘れ難きひとときをもてなす心こそが料理人の真髄ならば、大将が客人の五感をフルに刺激して驚きと感動とともに琴線に触れようという姿勢は実にあっぱれ。今宵もあの暖簾をくぐれば、真摯な瞳とやわらかい笑顔を持った、そしていつまでも探究心を忘れない永遠の少年のような大将が、カウンターの片隅であなたがやってくるのを待っているはずだ。ホッピーで一緒に乾杯しよう。
Photographer: Kohichi Ogasahara
取材撮影:2017年5月
赤坂濱寿司
AKASAKA HAMA ZUSHI