WHERE HOPPY TAKES US
「日本の蕎麦と口福」を世界に
創業寛永元年。1789年といえばアメリカではジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した年。日本は江戸時代の真っ只中。戦もなく職人たちは匠の技を研鑽し、食も芸術も娯楽も、太平の世の恩恵を受けて花盛り。日本が独自の文化を熟成した時期だ。そんな時代に「更科堀井」は生まれた。初代は「蕎麦打ち上手」で知られた信州の反物商、布屋太兵衛。領主の勧めで蕎麦屋に転向したという「異業種起業家」だ。上品な風味ゆえに江戸城や大名屋敷にも出入りを許され、蕎麦好きの江戸っ子にも親しまれてきた更科蕎麦が歩んできた228年の歴史を担うのは、「蕎麦を打つだけでは老舗は成長しない」と語る堀井家九代目、堀井良教(ほりいよしのり)さん。老舗企業の代表として、そして蕎麦普及の伝道師として、行政も含めさまざまなコラボレーションで忙しく飛び回っているが、土日は早朝から自ら蕎麦と向き合い、打っている。新蕎麦の季節、堀井さんを訪ねて麻布十番の本店の暖簾をくぐった。
リズミカルで流れのある蕎麦打ちの所作には、人の目を惹きつける魅力がある。黙々と、粛々と、淡々と。つないでこねて延ばして畳み、そして切る。「見とれてしまいます」と告白すると、「うちではどんどんやらせています」と堀井さん。力が要りそうという失言には、「それは未熟だから。女の子だって打てますよ」と笑って答えてくれた。技については「すべからくリズムは大事。でも一番大事なのは『おいしいものをつくる』という意志です」と断言した。
「器用に適当にできる人もいるかもしれませんが、雑な仕事はばれます。丁寧な手仕事、愛情が大切です」
創業から228年、お客と向き合い重ねてきた年月は嘘をつかない。継承されてきた匠の技とおもてなしの心について飄々と語るが、その言葉には重みがある。年中無休の更科堀井には、大きくわけて「更科(さらしな)」「もり蕎麦」「太打ち」「季節の変わり蕎麦」の四つのメニューがある。
「更科」は言わずと知れた更科堀井発祥の蕎麦。蕎麦の実の芯の粉で打った白い蕎麦で、堀井さんはこの看板蕎麦を「ご先祖さまにいただいたキャンバス」と表現する。蕎麦も和食の一種、常に季節を意識したメニューを開発してきた。たとえば「季節の変わり蕎麦」は、キャンバスである更科蕎麦に、歳時記を参考にして選んだ季節の旬の食材を練り込んで打った色鮮やかな蕎麦で、生ける季節と風味と職人の遊び心を楽しめる逸品。季節毎に新しい驚きと感動をくれる蕎麦の存在。更科堀井からお客が離れないのは、こうした革新的な“仕掛け”があるからだ。
しかし堀井さんが仕掛ける革新は、メニューの域に留まらない。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」。登録にいたった理由には次の4つが挙げられている。
・多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
・健康的な食生活を支える栄養バランス
・自然の美しさや季節の移ろいの表現
・正月などの年中行事との密接な関わり
食に関する幸せという意味合いで「口福」を提唱する堀井さんにとって、蕎麦の可能性とともに考えたときに一番注視するのは「健康的な食生活を支える栄養バランス」だ。
「“一汁三菜”を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスといわれています。また、“うま味”を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿や肥満防止に役立っています」
こう紹介されたことを受け、堀井さんは「うま味」という共通基盤の形成に尽力すれば、蕎麦が世界市場に入っていける可能性があると考えている。蕎麦を前面に出すのではなく、「うま味」という傘を利用して蕎麦をアピールしていくという戦略だ。更科堀井には「蕎麦を打つだけでは、老舗は成長しない」というスローガンを掲げている。まさに堀井さんの、蕎麦打ちだけではない、ビジネスマン、会社代表の顔を垣間見た気がした。
九代目になり、蕎麦と改めて向き合うなかで、世界を視野に蕎麦の可能性と未来を考えてきた堀井さん。これまでイタリア、ロシア、アメリカ、韓国、コンゴなどさまざまな国で蕎麦打ちのデモンストレーションを通して、蕎麦がいかに健康を支えるパワーフードであるかを説いてきた。たいてい蕎麦は「すする」といった、いわゆる独特な食べ方がフィーチャーされ、日本という国の食文化のひとつ、のように思われてしまう。しかし世界共通で必要とされていることは、「高タンパクであること、GI値が低いこと※だと思うんです」と堀井さん。つまり、筆者が堀井さんが蕎麦を打つ姿に釘付けになったように、(蕎麦を打つ)デモンストレーションを通して技術に感心して興味を持つ場合が多くても「その場限り」。もちろんそこから蕎麦そのもの、味わい方に造詣を深めていく人もいるが、それよりも自身の健康や食生活に関わることの方が末長いお付き合いの基盤になってくれる。
「食」とは「人」を「良」くすると書く。「口」と「幸福」で「口福」とする堀井さん、「健康的なものを食べたいのは万国共通の欲求です」と話してくれた。蕎麦は強い穀物で、痩せた土地でも育ち干ばつにも強い植物であるうえ、高タンパクでルチン・ビタミンB1・B2も豊富という万能フード。発展途上国の食糧難や飢餓問題はもちろん、先進国の肥満問題の解決にも一躍買う可能性だって秘めており、口福には鬼に金棒の世界中にアピールできる健康食だ。
※ブドウ糖を100とした場合の血糖上昇率。一般的にGI値の低い食品は血糖値が急激に上がることの抑制効果が期待できる食品といわれている。
うま味の相乗効果は、世界中で理解される
また、「うま味」について、面白い見解もシェアしてくれた。堀井さんがいうにはこうだ。
「実際、汁につけて食べる麺なんて日本国内でだって蕎麦くらいなものです。すするという行為も、蕎麦の香りを楽しむためであって、いわゆるツウが蕎麦を嗜むために当たり前にしていること。だから、食べ方などの文化的な側面はあとからついてくればいいんです。好き嫌いはあるし、うどん派はずっとうどん派でしょう(笑)?それよりも『うま味』の方が、世界的にも理解されやすい。化学的にいえばうま味は、グルタミン酸(植物系のうま味成分)とイノシン酸(動物系のうま味成分)の相乗効果なわけです。たとえばイタリアではチキンとトマトを合わせることで、うま味を引き出しているでしょう?」
うま味は日本の専売特許のようになっているが、実は世界中どこでも調理の際にやっている。和食が世界に認められてうれしいと単純に喜ぶのではなく、そこから世界共通のファクターを引き出し、もっと身近に親しんでもらうためのアプローチをする。「うま味って実はあなたのお国でもやっています。日本では出汁(dashi)がうま味を引き出すもので、この度、ユネスコ無形文化遺産に登録された和食を支える縁の下の力持ちです。ところでこの高タンパクでGI値の低い蕎麦のつゆも出汁で・・・」。間口を広くすることが近道につながる。目先ではない、長期的な視野で堀井さんは蕎麦の認知度を上げていくつもりだ。
「来年、日本橋にも店を出しますが、店は顔なので、技術と味にとことんこだわってやっていきたいですね。店で築いた評判という基盤があるからこそ、行政などから(蕎麦のレクチャーや海外での和食イベントに)声をいただけるわけで、それがビジネスチャンスを生むわけです。きちんとやっていれば、ビジネスチャンスがやってくる。だからこそ、間口は広くいたいですね」
2020年東京五輪を控える東京で、更科堀井は食の側面で日本を、東京をアピールするための「ハブ」になれる。それこそが歴史のある更科堀井の最大の強みであり、革新を恐れない更科堀井だからこそできることだ。
更科堀井でしか飲めない樽ビールがある。それは今年モンドセレクション金賞を受賞した「赤坂ビール」だ。赤坂ビールを更科堀井で扱うきっかけは、社団法人東京青年会議所港区委員会(現公益社団法人東京青年会議所)でホッピービバレッジの代表取締役、石渡美奈と一緒になったから。「赤坂ビールとの出会いというより、人間としての付き合いが先でしたね」と振り返る。そのころ更科堀井では、ちょうど生ビールをいれようと考えていたころで、そんなときに、地ビールとしては先駆者だった赤坂ビールを飲む機会があった。ホッピービバレッジは全国で5番目に地ビール免許を獲得しており、ご当地ビールを誕生させていたのだ。「おいしかったし、当時(地ビールは)ほかにはなかなかない試みだったので、感性があるなとも思いました。工場から直送してくれるというのも鮮度がいいという意味で(選ぶ)決め手になりました」と堀井さん。麻布十番と赤坂というご近所同士、PRの手伝いもできると考えての取り扱い開始だったという。海外進出といった外向き思考だけでなく、地場産業を盛り上げていくことにも、堀井さんは積極的だ。
2016年、ホッピービバレッジはニューヨークで毎年開催している「HOPPY NIGHT OUT」で、堀井さん率いる更科堀井にコラボレーションを依頼。HOPPY NIGHT OUTは「食あるところに文化あり」をモットーに、ホッピーを媒介に東京をはじめ日本の飲食文化や伝統芸能、エスプリをニューヨーカーに広く知ってもらうことを目的にしたイベントで、その日、東京の食文化の代表、江戸の粋である蕎麦をニューヨーカーに味わってもらおうと堀井さん自らが蕎麦を打った。海外でのデモンストレーションの経験も豊富な堀井さん。手応えを聞くと「欧米ではまだまだ椀ものや汁ものに対する間口が小さいですね。やっぱりそこの理解を広げないと。広がれば蕎麦にもチャンスがあります」と冷静かつポジティブな批評をシェアしてくれた。
更科堀井もホッピービバレッジも「体にいいものを」という共通のフィロソフィーを持っている。食べ物と飲み物、ともに口にするものだからこそ、健康にいいものを口にしてほしい。だからこそ更科堀井もホッピービバレッジも「本物」にこだわる。大先輩と同じ志であることが、どれほど心強く励みになるか。堀井さんの言葉は背負っている歴史と担っている未来の分、ずしりと重みがあるが、蕎麦のようにつるりと、心にすとんと落ちる。
Photographers: NiRai, Kuo-Heng Huan (the 9th from the top)
取材撮影:2017年9月
更科堀井(さらしな ほりい)
SARASHINA HORII