懐かしいけれど新しい学参コーナー
土曜日の午前中、久しぶりに大型書店の「学習参考書コーナー」へ行った。
学習参考書コーナーなど、ン10年ぶりのこと。
目的は、社内研修用のドリルの購入。
遥か彼方昔のことだが。
私が高校3年の夏、英語を中一からやり直すことになった。
我が母校、田園調布雙葉は幼稚園から英語を学んでいる。
同級生の中には帰国子女も多い。
今でこそあまり珍しいことではないのかもしれないが、1980年当時
公立小学校から入学した私は、異国の匂いすら感じたものだ。
中学で編入した時、受験を経験した私は4教科こそ、負ける気はしなかったが
英語は話にならない。
おまけに、高レベルの英語教育を推進している我が校が使用していた教科書も一般では使用していない、難易度の高いものだった。
なんとなく腕力でごまかしながら過ごして6年目、受験生の夏にその「ツケ」が訪れた。
偏差値が全く伸びない。担任の先生からも「このままではどの大学にも受からない」とのお達し受けることに。
絶体絶命とも言える状況下で私がありがたくも運が良かったと思うのは、担任の先生のご担当が英語だったこと。
「石渡さん、ここは焦らず、ここで基礎を作り直しましょう!」と軽やかに仰った。「薄い英語のドリルがあるじゃない?あれを中一からやり直しましょう。秋から偏差値もグッと伸びるわよ」
あの時、どう思ったのだろうか。
同級生たちに遅れを取るのではという焦り、はるか遠く中一まで出戻ることへの惨めさも感じたかもしれない、こうなることはわかっていたとも感じたかもしれない、これで無理をしなくていいんだ、わかったふりをしなくていいのだという解放感もあったかもしれない。
何より、どこにも入れなかったら一大事。私は夏休みの間、素直に中一からやり直した。そして先生の予告?の通り、秋から順調に偏差値も伸びて翌春、無事に立教生になることができたのだった。
礎を作ることを甘く見て、腕力でなんとかなると自分を過信し続けた挙句に見せられた悪夢の恐ろしさ。
礎の大切さ、礎作りには惜しむことなくたっぷりの時間と丁寧な学びをかけることが必要不可欠であることを身をもって教えられた、大学受験での貴重な学びである。
我が社が、新卒社員の人財育成に「プロになるまで10年」を基本方針として掲げる理由の一つは、私の経験に寄るものだ。
ン10年ぶりの学参コーナーでは、国語のドリルを求めた。あれこれ手にしつつ、実は大人になった今こそ必要だと感じる、非常に面白そうな参考書が沢山、目についた。そして気づけば、全社員に一冊ずつの「15歳までに知っておきたい言葉1800」を「押し付ける」ことにして、自分自身の学び用にもあれこれ購入していたのだった。