「いつか」に甘えていた自分 亡き親友に捧ぐ―
「いつか」に甘えていた自分 亡き親友に捧ぐ―
2011年G.W. 私は一人の大切な友人を
失った。
私が社会人としての新人時代をお世話になった
日清製粉の同期である。
まさか彼女が7年間もの間、乳がんと
闘っていたなんて露知らず・・・。
昨年の秋、共通の友人と会い、彼女の
話となり「会いたいなあ」と話していたばかり。
きっとそのうち会える、と思っていた・・・。
バブル入社の私達、
総合職、一般職合わせて同期は
100人を超えていた。
幸せなことに平成2年組の私達は
仲良くて、始終一緒にいたものだった。
そんな中でも彼女は5本の指に入る
親しさだった。
どうにも会社生活が窮屈に思えて
仕方のなかった私の楽しみの一つが、
昼食時に同期を誘って、社外へ
ランチに行くこと。
決められた短い時間の中で、社食では
なく、外へ行くことは、時間との闘いもあり
ちょっとした冒険でもあったが、
“外の自由な空気”を吸いながらの
同期との“くったくのない会話”は
私のエネルギーの源だった。
彼女にはよくランチに付き合ってもらい、
仕事のグチ、恋愛の悩み・・・よくある
OL話を聞いてもらったものだ。
そう、私は会社の制服に身を包み、
(もちろんベスト付き!)お財布とハンカチを
抱えて外に出る―という、絵に描いた
ようなOLライフを、満喫していたのである!!
そんな、始終一緒にいた彼女が・・・。
まさかこんなにも早く永遠のお別れを
しなくてはならないなんて・・・。
寂しいとか悲しいという言葉はどうにも
フィットしない。
何か大きな失くしものをしてしまった感覚。
やってはいけないこと、取り返しのつかないこと
をしてしまったような喪失感。
何?
3.11の経験と同様
「自分の身の上にまさかこんなに
大変なこと、こんなに悲しいことが
起こるはずがない」
大変不謹慎な表現で申し訳ないのだが
私の正直な感情を述べるとまさに
この通りで。
そして、3.11、そして彼女の死とたて続けに
身の上に起った大きな出来事は、
自分の奢り、傲慢さをつきつけたのである。
自分がもっと謙虚だったら、
彼女を大切にして、連絡も取り合っていて、
もしかしたら彼女の闘病を知り、
多少なりともサポートできたのかも知れない。
なのに私は、「いつか会える」と
甘え、彼女のサポートどころか、闘病していた
ことすら知らなかった。彼女の為に祈りを
捧げることすらできなかった。
このことがどうしようもなく私を打ちのめした。
ごめんなさい、ごめんね・・・。
「彼女は美奈ちゃんのブログやラジオを
チェックしていて、いつも美奈ちゃんのことを
応援していたよ」
久しぶりに会った数人の同期から
もらった彼女からのメッセージを
受けるにつけても心がキリキリと痛む。
Here now、
目の前の一分一秒を大切に生き抜く。
寺本門下生である私の経営理念の
1つでもあり、活きる信条にもしているのに、
本当に一分一秒を大切に生き抜くとは
どうしてこうも難しいことなのであろう。
大学院卒業前、寺本先生と交わした会話が
くっきりと思い出される。
「石渡さん、大学院で学んでどうでしたか」
「ハイ、先生。実は40歳を越えて、こんなにも
自分の知らないことがあるかと、痛感した
2年間でした」
「そうですね、学びとはつまりそういうことです。
学べば学ぶほど、謙虚になるという
ことは、知らない自分に気づけるからなんです。
実るほど、頭を垂れる稲穂かな、とは、
つまりこういうことなんです」
アホな私は、自分がいかに傲慢で
あったかと言うことを、国の難儀と
親友の死をもって心から痛感したらしい。
ああ いかに感性が鈍っていることか。
今さらだけれど彼女にできることはないかと、
私は休日中の同期にあわてて連絡を
取った。滅多にしかも休日に、携帯を
鳴らすことなどないのに。ラッキーなことに
2人共電話を取ってくれた。
GW前半戦あけて5/2、お通夜の前日
だったが、在職中の同期を中心に
退職した同期にも連絡は届き、
5/2夕方、私のところへ連絡が戻る。
「石渡、なんと30人集まったぞ。
メールにコメントも沢山。
生花二台に増やそうぜ。
お前は俺達の名前を彼女に届けてくれ」
ああ、なんとも嬉しい、同期達の想い。
どうもありがとう。
「なるたけ沢山のお花で彼女を送りたい」
と相談した私の言葉を受けて、同期達が
想像を超えるスピードで、有志を集めて
くれた。
この同期達の気持ちにだいぶ救われた
のは言うまでもない。
5月3日、祭壇、彼女の遺影の左右に
「日清製粉同期有志一同」のお花を
飾っていただいていました。
「いつか」に甘えない。
Here now、一分一秒を大切にする。
彼女が私に残してくれた教えを
心に刻み、私は自分の行動を変える。
せめて・・・もう一度逢いたかった。
泉ちゃん、ごめんね。
生かされている限り、貴女の悔しい分も
私は生き抜くから。ブログも描き続けるから。
どうもありがとう。
大事な同期 泉水慶子さんの
ご冥福を心から、心からお祈りしつつ、
5月生まれの彼女に深緑色で届けます・・・。