亡きはなこ先生に捧ぐ
9月16日(土)晴れ
突然の訃報に愕然とした。
中学2年の時担任をもっていただいた
先生の突然の死の知らせ。
私たちとは一回り程度しか違わない
彼女は50そこそこの若さであったはず。
10代という一番やんちゃな年頃を相手にした
女子校での教員生活。
私たちは、先生に対して意地悪ばかりしていた。
つけたあだ名も「はなこ」。
先生も細いカラダから、高い声を
振り絞って「こら~!いいかげんにしなさいっ」。
でも、何をしてもめげない先生は
すごいなぁって思っていた。
意地悪していたくせに、
先生の授業は面白くて、人気があった。
大学受験の際、
私たちの学年には、別の古典を担当の先生が
いらしたにも関わらず、私たちは、
はなこ先生に古典の補習をお願いしに行った。
中学2年の夏、
私は小学校から好きだった
「赤毛のアン」にどっぷりはまっていた。
お下げ髪をはじめとして
どんどん言動がアンそのものに
なっていく私を見て
「そこまで夢中になれるのは、すごい!」
と褒めてくださり、いっぱしの
文学少女気取りだった私のことを
応援してくださっていた。
ご結婚されてから教員生活に別れを告げ
三島にお引越しされたはなこ先生。
毎年、会いに行こうと思っていたが
重い腰は上がらず。
でも、この秋に決まった私をして
初のビッグプロジェクト、
その成果物が来春には、
この世に誕生する予定で、
アンきちがいだった私のことを
よく覚えていてくださった先生なら
きっと喜んでくださるに違いない、
春には、成果物と共に
三島に会いに行こう、なんて
近頃、ちょくちょく思っていた矢先のことで・・・。
私を支えていた柱の一本が
消えてしまったような、そんな喪失感。
恩に報いるためにも、恩師より先に
旅立つことは許されないと思ってはいるが
先生のあまりにも若すぎる死は
無念でならない。
まだまだひよっこな私たち、
親、師匠、恩師・・・。
私たちが頑張れる原動力は
彼らに報告したいから。
「よくやったね」。
褒めてもらいたいから・・・。
なのにな。。。
後悔先に立たず。
会うことは愚か、ご報告もできなかったことが
悔やまれてならない。
やんちゃ放題だった私たちにだったのに
いつも私たちに真剣に向き合ってくれていた
先生の死は、私たちの学年にも
大きな波紋を投げた。
先生は、大きな大人だったねって・・・。
先生、ありがとうございました。
今夜は、32回生全員が
そう祈ったにちがいない。
マリア良子先生のご冥福を
心からお祈り申し上げます。