つくるものに一ひねり。
生き抜くために、
新しい挑戦を楽しむ。
ホッピービバレッジの起源をたどると、明治38年、私の父石渡秀が齢10歳にして赤坂で始めた石渡五郎吉商店に行き当たります。五郎吉とは、秀の父の名です。
当時、六本木には歩兵連隊が複数あり、石渡五郎吉商店はその御用商人としての拝命を賜り餅菓子を納めていました。その後、明治41年に連隊より要請を受けて、ラムネの製造を開始。明治43年には秀水舎として独立し、今日の飲料水製造の基礎を築きました。よって、弊社の創設は明治38年とするのがふさわしく、これまで明治43年とした創業年を5年遡って定めることにしました。すなわち、弊社は2025年には創業120年
となります。ホッピーは終戦後まもなく闇市の時代に焼酎割りとして人々に愛飲され、今日に至ります。同時期、各種の焼酎割り飲料が中小の飲料メーカーから出され、これらが戦後の復興を担う人々の一日の疲れを癒す役割を果たしてきました。中小の飲料メーカーには、中小としての役割があります。お客様に寄り添いながら、私たちは焼酎割り飲料市場の開発に努力を重ねてきました。お店を一軒一軒回り汗を流してようやく築き上げた世界です。
その甲斐あって、今日の焼酎割り飲料の世界が築かれました。ホッピーもその一翼を担ったと自負しております。また、中小の飲料メーカーの頼みの綱であるこの市場を守り育てるために中小企業分野調整法の成立にも走り回ったのは遠い過日のことです。
昭和60年にサワーが出て、ホッピーが売れなくなったことがありました。私はその時期に工場の設備を更新し、また熟達した技術者を招いて醸造の技術革新に努めました。低迷期を来るべき発展期のためのステップボードにするという私に、迷いはありませんでした。おかげでこの時ホッピーの品質は大きく飛躍しました。これから先もなにが待っているかわかりませんが、ホッピーは常に進化を続けていくことでしょう。そのための切磋琢磨は私たちの使命でもあります。
我々中小企業は中小らしいことをやらなければ生き抜いていけません。そのためには、楽しんで仕事するのがいちばんです。まず自分が楽しくなければお客様にも楽しさをアピールすることができません。私が作ってきたすべての商品には一ひねりが入っています。それを私は楽しんでつくってきました。これからもその姿勢を忘れずに、ホッピービバレッジは新しいことに挑戦して参ります。
地球を背負って立つ気概で、
幸せな未来を共に創っていく。
1905年、祖父である石渡秀が東京都港区赤坂にて陸軍の御用聞き商人として餅菓子屋を創業、父親の名前をもらい「石渡五郎吉商店」と命名。その後、陸軍を通じてラムネの伝来を知り1910年、秀氏15歳にして自身の名を取り「秀水舎」を開業、ラムネの製造販売を開始した。弊社が清涼飲料業界にご縁をいただいた始まりである。その後、ラムネ事業を通じて長野県とご縁をいただき、当時、中小企業では極めて入手困難であったホップの入手経路を奇跡的に開拓すると、赤羽にあった醸造試験所に実弟(のちの初代工場長)石渡光太郎を送り込み、合成ビールの研究に着手した。これがホッピー開発の突端である。祖父は私が中学一年生の3学期、ちょうど期末試験の頃に他界した。残念ながら仕事の話を直接することはなかったが、唯一の女孫であった私を随分と可愛がってくれた祖父との接触は多かった。子供ながらに、行動的で情熱的であり、温かく懐の深い強く大きな祖父というイメージを持っていた大変に魅力的な人であった。 創業者石渡秀は「人様のためになること」「お客様に喜んでいただけること」を常に念頭に、そのことに徹して商売をやり抜いた。生涯、現役を貫いた根っからの商人である。
私は、2010年3月6日、創業者の命日に3代目のバトンを父より預かった。準備は2006年から始まっていた。第3創業の主戦略として定めたのは「新卒採用」。社会のことを何も知らないピヨピヨたちを社長自らが育てて、彼らに良い企業文化を具現化する主役となってもらい、3代目と共にホッピービバレッジを未来永劫続く企業へと育てていこうと考えたからだ。
3代目拝命直前、高田馬場にあるお取引先様の社長様からいただいた貴重な言葉がある。それは「人柄の良い商品を作りなさい」とのことだった。
「実は、マーケティング戦略とか広告とか営業力は後付けな話だと考えている。ホッピービバレッジは、お祖父様もお父様もお人柄がよかった。だから、人柄の良い社員が集まり、人柄の良い企業文化が生まれ育った。そこから作り出される商品も人柄が良い。だからホッピーはロングセラー商品になったのだと思う」。「だから石渡さん、あなたも人柄の良い商品を作りなさい。人柄の良い商品を作るということは、あなた自身の人柄を磨き続けるということだよ」「社長就任の餞けに」とおっしゃって私にくださったこれらの言葉は、今、私の座右の銘となっている。
「自分も含めて、人柄の良い社員を育て、先達から受け取った人柄の良い企業文化をもっと大きく濃く育て、社会によりお役に立てる企業、人様のお喜びのお役立ちのできる企業となる」。私の目指す星の一つだ。
さて近頃、気になっていることがある。それは異常気象だ。環境に最も優しい時空を超えたスーパー容器、ガラス瓶にこだわり続けることを始めとして、製造業者として地球環境を守ることは常に心がけてきたが、昨今の異常気象には、悲しみを通り越して怒りにも近づいたような、地球からの悲痛な叫びを感じて止まない。太陽系で最も美しい星と言われる、地球。この地球が崩壊したら、私たちの幸せ実現なんて、悠長なことを語っている場合ではなくなる。手遅れにならぬよう、地球をもっと大切に、丁寧に接しながら地球での生活を楽しみ続けられることを願ってやまない。
「ホッピー飲んでOh! ハッピー」 ホッピー2代目である父、石渡光一が生み出した名コピーだ。「ホッピーでハッピー」こそ私たちの看板であり、目指し続ける北極星である。ホッピーを通じて、ホッピーを愛し共に育ててくださる地球上におられる全ての方の幸せ実現のお手伝いをさせて頂き続けること。これこそが、私たちホッピービバレッジ社員の幸せである。私たちは、ホッピー応援団の全ての皆様のより大きくより深く、より永続的な幸せ実現のお手伝いを可能たらしめるホッピーピープルへの進化を常に目指して、たゆまない努力を重ね続けることを、この場をお借りしてお約束申し上げます。